日本の芝居

「日本の芝居はどうです。面白いですか。」「僕には、日本の風景よりも、芝居のほうが、ずっとわかりいい。実は、先日の松島の美も、僕にはあまりわからなかったのです。僕はどうも風景に対しては、あなたと同様に、」と言いかけて口ごもった。「イムポテンツですか?」と私は無遠慮に言い放った。「ええ、まあ、そうです。」と面《おも》はゆいみたいに眼をぱちぱちさせ、「絵は子供の時から大好きでしたが、風景は、それほど好きではありません。もう一つ苦手は、音楽。」 私は噴き出した。松島に於ける、れいの、雲よ雲よの唱歌をとたんに思い出したからである。「でも、日本の浄瑠璃《じょうるり》などは?」「ええ、あれは、きらいでありません。あれは音楽というよりは、Roman ですものね。僕は俗人のせいか、あまり高尚な風景や詩よりも、民衆的な平易な物語のほうが好きです。」「松島よりも松島座、ですか。」私は田舎者のくせに、周さんの前では、こんな駄洒落《だじゃれ》みたいなものを気軽に飛ばす事が出来た。「このごろ仙台で活動写真がひどく人気があるようですが、あれは、どうです。」「あれは、東京でもちょいちょい見ましたが、僕は、不安な気がしました。科学を娯楽に応用するのは危険です。いったいに、アメリカ人の科学に対する態度は、不健康です。邪道です。快楽は、進歩させるべきものではありません。昔、ギリシャで、絃《げん》を一本ふやした新式の琴を発明した音楽家を、追放したというじゃありませんか。支那の『墨子《ぼくし》』という本にも、公輸という発明家が、竹で作った鵲《かささぎ》を墨子に示して、この玩具《おもちゃ》は空へ放つと三日も飛びまわります、と自慢したところが、墨子は、にがい顔をして、でもやっぱり大工が車輪を作る事には及ばない、と言ってその危険な玩具を捨てさせたと書いてあります。僕はエジソンという発明家を、世界の危険人物だと思っています。快楽は、原始的な形式のままで、たくさんなのです。酒が阿片《あへん》に進歩したために、支那がどんな事になったか。エジソンのさまざまな娯楽の発明も、これと似たような結果にならないか、僕は不安なのです。これから四、五十年も経つうちには、エジソンの後継者が続々とあらわれて、そうして世界は快楽に行きづまって、想像を絶した悲惨な地獄絵を展開するようになるのではないかとさえ思われます。僕の杞憂《きゆう》だったら、さいわいです。」 そんな事を語りながら、「油くさい」天ぷら蕎麦を、おいしく食べて、私たちは東京庵を出た。お勘定はその時、どっちが払ったか、津田氏の忠告に従ったか、どうだったか、そこまでは、さすがにいまは記憶していない。私はその夜、周さんを荒町の下宿まで送って行く事にした。

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